✨ ベストアンサー ✨
もともとは倭(日本)は隋(中国)の朝貢国(貢物をする国)だったんです。
つまり、倭の方が身分が低いんです。
『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す』の、『日没する処』と言うワードは国が滅びてしまうイメージがありました。それに対して怒ったのが一つの理由です。
もう一つは、この文には、『あなたの国と対等に交流したいです』という意味もあり、貢物をする立場だった倭がいきなり対等にしたいと言ったら、まぁ、『は?』ってなりますよね。
身分を弁えていない、ということも煬帝の怒りに触れたところだと思います。
ただ、この時、高句麗との戦を隋は控えていたので、倭の平等な交流を許可しました。
きっと敵を増やしたくなかったんでしょうねw
長々と失礼しました。またわからないことが有れば聞いてくださいね(^O^)
めちゃめちゃわかりやすいです🥲
まじで助かりましたありがとうございます!!