回答

第一に、新鮮味あふれる華やかな文化だということ。

 文化の担い手が新興大名や豪商だったため、彼らの気風と経済力が反映されている。東山文化に見られる簡素な禅宗文化や身近な生活文化に比べ、(一部にはそうした要素を残しつつも、)巨大な天守閣を持つ城郭建築や、その内部を飾る金地のまばゆいばかりの襖絵などが制作された。それらの文化財群は、よくいえば豪華絢爛、悪くいえば過剰装飾・黄金趣味で、一種の成り上がり文化と受け取られかねない。

 第二は、現実主義的な傾向が顕著なこと。

 従来のわが国の文化は、飛鳥文化以来、仏教の影響を色濃くこうむってきた。建築といえば寺院建築だったし、彫刻といえば仏像彫刻、絵画といえば曼荼羅や阿弥陀来迎図などの仏教絵画だった。しかし、新たな権力者の前には古代・中世的な仏教権威はもはや絶対ではなく、延暦寺焼打ち、一向一揆の弾圧、安土の宗論、検地による寺領削減等を通じて、仏教勢力は弱体化させられた。伝統的な仏教色が希薄になり、現実主義への指向が強まった。この時代、建築といえば新興支配者たちの居所である城郭建築であり、茶の湯の流行を背景とした町衆や大名の茶室建築であり、彫刻は権力者の居室内を飾る欄間の透かし彫り、絵画といえば城郭内を飾る障壁画であった。

 第三は、ヨーロッパ文化の影響を受けていること。

 ポルトガル人・スペイン人らいわゆる南蛮人と接触し、人びとが彼らの文化を積極的に受容した。南蛮寺、セミナリオ、コレジオなどのキリスト教文化、宣教師ヴァリニャーニがもたらした活字印刷術、マントや帽子などの南蛮風俗等の影響を受けて、わが国の文化は多彩なものとなった。

まとめると、桃山文化は、町人を担い手とした豪華で現実主義的な文化である

長くてごめんなさい

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