回答

回答欄が無いので、ヒントの提示に留めておきます。

・時代背景
倭国は古墳時代。当時のヤマト政権は豪族の連合体で、大王はその代表に過ぎませんでした。
ここで、ワカタケルこと雄略天皇は、武力によって地方豪族をねじ伏せ、大王による専制統治体制の確立を目指していました。

一方中国では南北朝時代。北朝の北魏、南朝の宋に別れていました。中国の分裂によって、東アジアの諸国は次々と中国の支配から離れていきます。
高句麗はその代表例です。楽浪郡を滅ぼした後、次第に南進を始め、新羅・百済・伽耶に圧力をかけます。
倭国は百済・伽耶と親しかったですし、もし高句麗が朝鮮を統一したら、次に狙われるのは倭国です。高句麗は倭国にとって大きな脅威でした。
そこで倭国は、百済・新羅と同様に、南朝の宋へ朝貢することにします。

・回答のヒント
設問の要求は、①国内統治の立場②朝鮮での立場をどのように有利に運んだか の説明です。35字はかなり少なくてキツいですね。

①宋の皇帝から「安東大将軍」の称号を貰うことは、諸豪族への優位を誇示する効果がありました。分裂したとはいえ、宋は大国であり、先進国でしたからね。
②史料では「倭・百済(略)安東大将軍」とありますが、これは倭王武が自称してるだけです。言い換えれば、これら朝鮮南部の国々を統治したい、という武の要求の表れでもあります。(百済の統治は認められませんでした。百済は北朝への戦略的要衝で、南朝の宋にとって大切な土地だったからです)
つまり、朝鮮南部の統治権を「安東大将軍」の称号によって、宋に公認してもらいたかった、というわけです。

以上のことを端的にまとめれば大丈夫でしょう。(丸投げでごめんなさい)

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