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ディズレーリ内閣の時、スエズ運河を通るルートができて、インド帝国への近道が、できたはずなのに、わざわざ、南アフリカからのルートも使ったのはなぜでしょうか?

回答

✨ ベストアンサー ✨

それって、イギリスがどちらのルートも使っていたのは何故か、という意味でしょうか?

そういう意味です。

осямам детка

スエズ運河はスエズ運河株式会社が運営していたそうです。ディズレーリはこの会社の株を44%保有することでスエズ運河を買収しました。
ということは、この時のスエズ運河ってイギリス政府による国営の施設ってことですよね??
民間の開運会社はここを通るとき通行料を払わなくてはなりません。当時の通行料は残念ながら分かりませんでしたが、もしかすると喜望峰経由の燃料費諸々の方がスエズ経由より安かった場合があるのかもしれませんね。

あとは政情不安もあるかと思います。
ディズレーリがスエズを買収した後で、エジプトやスーダンにて反乱が起きています。スエズ運河が襲撃されたかは分かりませんでしたが、積み荷を失うことを考えると少し遠くても、従来通りの喜望峰経由で行った方が安全だったのかもしれません。

大分あいまいな解答になりましたが、
①スエズ運河の通行料及び燃料費と、喜望峰経由の燃料費を比較する
②当時の内乱の様子(地域や規模)
③当時、イギリスと敵対していた国のアフリカにおける支配地域(通りづらい場所が分かるはず)
④そもそも積み荷は何だったのか(積載量が多いものならば船体も大きなものとなる→物理的にスエズを通れなかった可能性)
これらの視点から、再度調べてみるとより正確なことが分かると思います。
ちなみにスエズ運河は季節によって流れる方向が違うらしいです。これも理由の1つかもしれません。

詳しくありがとうございました。いい理由ですね。納得できました。

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