日本史
高校生
解決済み

徳川慶喜は、「内大臣」だったと参考書に記載されているのですが、将軍でもあり内大臣でもあったということですか?

また、そうなのだとすればなぜ2つの地位(?)を得ていたのでしょうか。

回答

✨ ベストアンサー ✨

慶喜は慶応2年に征夷大将軍と権大納言を同時に就任します。
翌年の大政奉還前に権大納言から内大臣に昇任しました。

理由としては、実は征夷大将軍は朝廷の官位としてはとても低く、天皇に謁見することができるギリギリの地位でした。
そのため、初代の徳川家康から征夷大将軍と官位が高い内大臣を兼任して、幕府と朝廷の両方で高い地位を確立することが通例となりました。

分かりにくかったら申し訳ないです!😭

ぴのすけ

回答ありがとうございます
朝廷の地位を上げるためだったんですね!

すごく分かりやすかったです。助かりました!

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